北大路流山珍

思えば随分長くアメブロを書いているわけですが、
不思議な事にブログというものが理解できません。
一体、誰に向かって何を私は言いたいのでしょう?
別に
書かなくても良い事ばかりではないかと思います。
個人がメディアというものを手に入れたところで、
何らかの社会的な影響力を持ちたいわけでもなく、
書くことで何かが自己完結するわけでもないので、
無駄と言えばこれほど甚だ無駄なものもないわけで、
ただ
ネット上から消し去る理由も見つからないだけで、
いつの間にか歳月が矢のように過ぎていきました。

記事一覧(14)

東京都受動喫煙防止条例成立に寄せて

とうとう東京都の受動喫煙防止条例が都議会本会議で可決してしまった。例え自ら煙草を忌み嫌う者であったとしてもだ、このような横暴な条例を良しとしてしまう事が、苟も議会制民主主義を履行する立場である議員達の所業だとは恐れ入った。喫煙に関する事だけではない。理想の社会を作り上げようとする試みは、須く、その社会を構成する全ての人々の理想によって、行われなければならない。私達喫煙者の多くは、煙草の煙を嫌う人々の権利を侵害するつもりは毛頭ない。同じ社会に、共存する事が出来ると考えている。しかし、どうやら非喫煙者の中でも喫煙文化を地球上から抹消しようとしている人達は、喫煙者と共存する事が不可能だと考えているようだ。なぜなら、煙草は有毒であり、喫煙者本人ばかりか、その煙は大気を汚染し、喫煙者以外の人々の健康をも脅かすと信じられているからだ。しかしこれには、充分な科学的根拠がない。受動吸引という範囲で言うなら、煙草の煙は大気中の他の物質に比べて極めて希薄で、同室に居る者の健康を著しく害する程の威力は無い。よく風邪をひいている喫煙者の吐く煙は、ウィルスを運ぶと言われる事があるが、ウィルスは煙と一緒に運ばれはしない。道理で考えて、受動喫煙というモノは存在しないのである。投票によって公正に選ばれた議員が、皆の理想の社会を実現する為に頭を使い、行動する。その理想の社会が、皆が健康で、快適に生活できる社会である事には、異論の余地がない。では、煙草の煙はその社会の実現を阻害するだろうか? それを論証し、明解に提示する事をしないで、ただ、「煙草は毒だ。その煙も毒であり、僅かでも吸引すれば病気になる」と多くの人が信じ、偉い学者が言っているから、というだけの理由、更に言うなら、日本は世界に遅れをとっている。先進国各国の主要都市は、全て煙草が吸えなくなっている。というだけの理由で、充分な論証になっているというのだろうか?皆が健康で、快適に生活できる社会。東京から煙草が消えることは、それに貢献するだろうか?私にはそうは思えない。何故なら、喫煙は人間の大切な情緒を担っているからだ。それを物語っているのは、古いジャズ喫茶だったり、寡黙なマスターのバーだったり、東京という生き物が、戦後を生き抜いて蘇生し、息づいて来たその身体そのものである。都市の、街の、カラダそのものである。そこに居た大勢の人々の姿である。その街の、染み付いた歴史を鑑みず、何が理想の社会だろうか?2018.6.27

C&D エピファニー

今回紹介する煙草はコーネルディールのエピファニー。エピファニーとは、しばしば「閃き」という意味にも使われる言葉で、キリスト教の公現祭(1月6日)を表す。この日は、クリスマスから数えて丁度12日目にあたり、お祭り気分の年末と正月が過ぎて、日常に戻る入り口の日でもある。文学上の用法では、平凡な出来事の中にその事柄・人物などの本質が姿を現す瞬間を象徴的に描写することも意味するらしい。転じて「常喫」という意味だと解釈したが、些か曲解であろうか。 フロッグ・モートンが手に入れられなくなったせいもあるが、最近また好みの煙草を模索しつつある。そうでなくても、一つの銘柄にそれほど執着しない方なので、色々と食指が動いてしまう性格なのだが、私の中で永遠のテーマになっている煙草のブレンドにおける理念と言うか至高概念というか、ある種の幻想的な物語が存在する。それは…「ラタキアを巧く使った着香煙草」である。 バルカン、所謂50%のラタキアを含んだブレンドには、あまり風情を感じない。すぐに飽きてしまい、ダンヒルのダーバーなどは一年近く50グラム缶が減らず、カラカラに乾燥したものを2度ほど加湿して、やっとこさっとこ空にした。パウチものでは、ラールセンのトゥルー・デライトあたりが安くて良いのだが、これはこれで今度はラタキアが物足りない。ガレリアのフォックス・アンド・ハウンドはそこそこに嵌って何度も買って吸っていたのだが、結局、ラタキア慣れしてしまうと、何だか着香の方が味気ない。実はパウチもので一番嵌ったのがフォン・エイケンのプライベート・クラブなのだが、現在は製造していないようで、入手できなくなってしまった。ラタキアは多すぎず、少なすぎず、フレーバーを中心に楽しみながらアクセントとして使っている。そんな煙草が私の理想である。そういう意味で、フロッグ・モートンは至高だったのである。割合の分量で言えば、オンザバイユーやアクロスザポンドでは多過ぎ、オンザタウンでは少な過ぎた。セラーに至っては着香が強すぎてラタキアが死んでいる。レギュラーのフロッグ・モートンは絶妙なバランスだったと言って良い。ラタキアが活き活きと前に出ているのに、スムースで飽きが来ない。 今は亡き煙草の話をしても詮方無いので、このエピファニーに話を戻そう。開缶したのは町田の駅近くにある「宮越屋珈琲店」。ちょっと雰囲気のある良いお店だ。2階の窓際は広い喫煙席で、テーブルも大きく、ゆったりとしている。ここのフレンチ・ブレンドは私の知る限り町田界隈では1番美味しい珈琲である。チョコレート・ブラウニーを食べながら、午後のひと時をゆっくりと過ごす。

2018メシャムパイプオフ会ご報告

えっ!?そんなもんなの??

昨日7月2日(日)は年に一度の大煙会。待ちに待ったという程ではないけれど、パイプスモーカーの私にとっては、新しい刺激の場所として、仲間との交流の場所として、毎年楽しみにしている祭典である。講習会に試喫に、そしてオークション。このオークションが私としては毎年大いに楽しみなのである。オークショニアのもんぺ氏とは関東パイプオフ会に初めて参加しお会いしてから早8年越しのお付き合いになるが、彼の進行が実に軽妙で気持ちが良い。ここ数年はオークションに参加するよりも彼のMCが楽しくて、毎年ずっとスマホを掲げ、動画におさめてしまうほどのファンである。私にとってはオークションそのものが楽しみであって、出品された品々が特別に欲しいと思う品物である事は、あまり無い。それでも、出品されたパイプがブルドッグだった場合、未だに一瞬「ピクッ」としてしまう(笑)。今回出品されていたブルドッグは2本、ダンヒルの新しいヤツと、今は亡き「ぱいぷ堂」のハウスパイプ。ぱいぷ堂、ご存知だろうか? 10年ほど前に閉店してしまった兵庫県のパイプ専門店である。リー・フォン・エリックなんかを日本に紹介したお店と言っても過言じゃないだろう。エポックメイキングなお店だった。そのぱいぷ堂のハウスパイプ第一弾が「ブルドッグ」。当時の価格は1万円弱の売値だったと思う。ベテラン・スモーカーも呻る程、その喫味が素晴らしいという評判で、今や幻の、伝説の、パイプなわけである。オークション終盤でこのブルドッグ2本がかけられた。ダンヒルはまあ、新しいとはいえダンヒルですから、入札は吊り上がって1万円超えは順当(みんなダンヒルホント好きだよねぇ~)。ちょっと調子がついたらユーズドでも青天井の可能性がある。実際、周りの反応で値踏みした結果、高い買い物をする場合もありうる。落札は自己責任だし、入札者が価値を決めるものだ。「ああ、あれをそんなに高く買うのか」と内心思っていたとしても決してそんな事は言ってはならない。暗黙のご法度だ。それに一般の人からすれば、そもそも煙草を詰めて吸うだけの木の塊である。高いも安いも無い。さて、この「ぱいぷ堂」ブルの番が来て、開始値は2千5百円。思わず「3千円!」と声を出してしまった私。最初に言ったが、どうしても欲しかったわけではない。絶対に落札出来ない価格だと思っていたからである。逆を言えば3千円で落札できたら奇跡だとすら感じていた。販売当時でさえ1万円はする。ましてやもう何処を探してもこんな新品同様のコンディションでは売っていない代物だ。このパイプは旨いので結構なコレクターが使い倒してしまうのだ。これよりもかなり汚いカーボンだらけの物を、以前ネットオークションで見た。チェックをしていたら、結局100ドル超えで落札されていた。ところがである! 私の3千円の後が続かない!!(笑)えっ??? ってなった。ヤヴァイ! 落札してしまったら女房に叱られるっ!!(笑)皆、知らないだけなのか、ハイグレーダーを気取っているのか、オークション終盤だから、買う人は皆、資金を使い果たしてしまったのか、この魅力的なブルドッグが3千円だと???