喫煙は喫煙者自身にとっても謎の行動である

私は煙草が健康に及ぼす影響は皆無だと考えているが、これについてはひとまず不問としよう。今私が取り上げようとしている議論は、全く別の事柄である。

煙草が人体の健康に有害であろうと無害であろうとそれは全く関係無く、煙草を吸うという行為そのものが、実に不可解であるという点に私は着眼するのである。

有害であると考えている人であっても、煙草をやめられない。これは一般的にはニコチンによる薬物依存として極めて大括りに片付けられているが、やめられない原因は社会的な問題や行動心理学など複合的に存在し、むしろニコチンに因る処は極めて少ないのではないだろうかと、私は考えている。

何故かと言うと、ニコチンは元来、快楽物質でもなければ安息物質でもない。元来は人体に摂取すると不快な物質なのである。意識を変成させるという点についても直接的ではなく間接的作用であり、作用する時間も短い。

煙草が無害だと信じている人に至っては、更に不可思議である。美味いから吸っていると主張する人がいるが、この美味い(若しくは旨い)というのはどういう事だろうか?ここで感じている「美味い」は食べ物が美味いというのとは根本的に異質の感覚である。

食物を摂取する事は生存を維持する為の必須条件であり、糖分は脳に栄養を与え、塩分は肉体の疲労を回復させる。スパイス等の刺激物はニコチンと似て(丁度子供が辛い物を苦手とするように)拒絶反応を伴う場合もあるが味にバリエーションを与え、様々な健康維持の為の効能も確認されている。その他、ビタミンやミネラルなど、人間の肉体が「良し」とする物を「美味い」と感じるのは自然な事と言えよう。アルコールも適度であれば血液の循環を良くし身体を暖める。酒を美味いというのは、それぞれ種類による風味(フレーバー)の特徴とアルコールによる酩酊感が一体化した結果の、極めて正直な肉体の感想と言える。第一、飲み物には乾きを癒すという最大の美味さがある。

そう考えてみると、煙草の煙が「美味い」という感想の正体は、掘り下げて探り出してみると驚くほど空虚だ。そこには、ぽっかりと暗黒の空洞が口を開けている。

確かに煙草にも風味はある。発酵させてみたり燻蒸してみたり着香した物がある。しかしながらこれらの煙草が好きな人には自明の理であろう。焼いた肉を喰らうようにはその本質にかじりつけないという事が(しばしば周りの人の方がその香りを堪能しているものなのだ)。

ニコチンという呼称の起源となっているフランス人の仕掛け屋、ジャン・ニコは、当初ファッションとして流行らせる事を目論んだ。狙いは的中してヨーロッパ全域に一気に煙草は広まったのだが、ニコ自身にも、そして広められた人々にも、それが何に因るのか、ブームの正体を見極める事が出来なかった。

唯一つ言えることは、喫煙という習慣を身につけた者の人生観は、身につける前とは大きく変わる。世界が、目に見える物、感じる物の全てが、別の色彩を放ち出すのである。

これは一体、何なのだろうか?

Still Life with Meerschaum

The Meerschaum is a fine stone and worth the coloring for

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