煙草開放宣言

歴史上、同調圧力に打ち勝って来たものとは、たったひとりの「叫び」である。

童話「裸の王様」の最後に登場する、名も無き少年の真実の「叫び」だ。

その「叫び」は、ひとり、またひとりの魂を揺さぶり、あらたな「叫び」を生んでいく。

「何故あなたは煙草が毒だと思うのですか?」という問いにある人は言った。「だって煙草の箱に書いてあるじゃないか」

今や世界の常識として、煙草は人類にとって有害なものである。科学的な議論もとっくに済んだ事になっていて、異論を唱えると精神異常を疑われる。正に多勢に無勢である。

今後、喫茶店などで一切煙草が吸えなくなる可能性も高い。分煙ではない。完全に締め出されるのだ。全ては「煙草は万人にとって有害であり、この地上から消滅すれば良い」という常識に依るものだ。疑ってさえみない常識に。

喫煙は依存症という疾病であり、治療には保険が適用される。しかし多くの人がそれほど重篤な禁断症状も無く禁煙に成功している事実から明らかなように、依存性もそれほど高くはない。

そもそも、煙草ががんやその他疾病と直接的に因果関係にあるという証拠は、何も見つかっていない。煙草と病気との関係は、何一つ証明されていないのである。

にも関わらず、何故か「煙草は健康を害する」という「常識」が独り歩きをしてしまった。喫煙者までもが、そう信じて疑わず、喫煙しているのである。

先ず、喫煙の権利を、自由を、声を大にして訴えるのであれば、この根本的な「常識」に異を唱える以外には無いのである。

煙草は「百害あって一利なし」と言われる。この命題通りなら、喫煙者の行為が「緩やかな自殺」と言われても何ら矛盾しない。煙草を吸う人は「やめられない」から吸っているのであり、本当は吸いたくない。悪魔に吸わされているのだ、と。

喫煙者の多くは、これを信じている。我が陣営には「正義」が存在しないのだ。これでは初めから負け戦だ。

だが我々は自明の理として知っているはずではないか。煙草から受けた愉しみを。心の豊かさを。魂の開放を。人生の歓喜を。決して一利なしと言えはしないのではないか?

まるで死神の象徴のようにイメージされる煙草。だがしかしその地上最悪の魔物である筈の煙草が、現実に我々に与えてくれたものは何か?

それは安らぎの時間だったり、思慮深さであったり、何かを達成した時には共に歓びを分かち合う良き友であった。物事がうまくいかなかった時、怒りを沈めてくれ愚痴を聞いてくれる良き友ではなかったか? こんなにも善良な友を、まだ悪友呼ばわりするのか?

喫煙者なら皆知っている。その甚大なる恩恵を。

今、喫煙文化が人類から消えようとしている今、

私達はひとりひとり声を大にして叫ばなければならない。

煙草の無実を。煙草の冤罪を。

今、人類は大切な友人を失おうとしているのだ。


2017年9月12日